会報の内容 1ページ NIPPOKAI LETTER(仮称) ニッポカイ レター                  2019.6         NO.1                    日本歩行訓練士会 事務局 〒657-0846大阪市鶴見区今津中2-4-37  社会福祉法人日本ライトハウス養成部内 メールアドレス:nippokai@lighthouse.or.jp    発行責任者 森 一成 以下、本文 NIPPOKAI LETTER(会報)よろしく!  いつも日本歩行訓練士会の活動にご協力いただきありがとうございます。日本歩行訓練士会は昨年度、全国各地から新役員が加わりました。今年度からは新役員の手による最初の事業計画を立てて進めていきます。しっかり根を張って、歩行訓練士の皆さんのネットワークを深めたいと思います。そして、まだまだ一般的に知られていない「歩行訓練」「歩行訓練士」の周知、認知にも取り組みたいと思います。  会の取り組みの紹介と歩行訓練に関する情報提供を目的に、この度会報を発行することになりました。年2回の発行を予定しています。会報名は仮称なので、いい名前があれば事務局までお知らせください。次号は違う会報名でお届けするかもしれません。 全国組織として整備する中で、会費を今年度から変更させていただきました。会員の皆さんにはご負担が増えて大変恐縮ですが、引き続き日本歩行訓練士会へのご参加、ご協力をよろしくお願い申し上げます。 ******************************************************************             − お知らせ − <今年度の主な予定> 6月10日 第12回ECOMO交通バリアフリー研究・活動助成報告会にて報告 7月6日(土)、7日(日)神戸市TRIにて研修会、総会(前日に役員会) 7月26日(金)〜28日(日) 盛岡市の視覚障害リハビリテーション協会研究発表大会(後援行事)にて口頭発表を予定 12月8日(日)東京(会場未定)にて研修会(前日に役員会) <報告> 5月24日〜26日 東京でのロービジョン学会にて、駅の安全啓発チラシを置く  <募集> 会員メーリングリストがあります。登録希望の方は、事務局までお知らせ下さい。 (イラスト 手引き中に白杖で下りの段差を確認している) 2ページ 東京で2年連続 日本歩行訓練士会を開催! 2018年12月 講習会・研究会  2018年12月1日(土曜)、2日(日曜)に東京都新宿区高田馬場の東京都盲人福祉協会(東京都盲人福祉センター)にて日本歩行訓練士会の講習会・研究会が開催しました。各日、約50名、2日間でのべ約100名が参加いただきました。参加者は関東を中心に全国各地から集まりました。昨年に比べて関西以外の参加者の割合が増えました。初日終了後の懇親会は、27名の参加でした。ふだん歩行訓練士は、一人職場や少数職場が多く、他の歩行訓練士と話す機会があまりない現況があります。懇親会を含めて歩行訓練士会で貴重な情報交換の場をとっていただいたかと思います。 2日目は会員だけでなく18名の会員外の方もご参加いただきました。昨年に引き続き、駅での安全対策等で当事者の方、関係者の方を含めて考える時間となりました。東京都盲人福祉協会の会員の皆様、職員の皆様には、2年続けて大変お世話になり感謝の一言です。 (写真上 事例発表の会場を後方からとったもの) (写真下 グループ討議の会場を片隅からとったもの) 3ページ <歩行訓練士のいる施設・団体> まだまだ歩行訓練事業や歩行訓練士のいる施設・団体は数少なく、また歩行訓練の事業形態や施設・団体もさまざまです。このコーナーでは、少しずつ各地の歩行訓練士のいる施設・団体を紹介できればと思っています。最初となる今回は浜松のNPO法人六星 ウイズ蜆塚と2017年、2018年と日本歩行訓練士会の東京会場としてお世話になった東京都盲人福祉協会です。  歩行訓練士のいる施設・団体@  NPO法人六星 ウイズ蜆塚(就労継続支援B型事業所) 事務局長  古橋 友則 1996(H8)年、視覚障害者の働く場として障害者授産所ウイズ(のちに「ウイズ半田」に改称)を開所し今年で23年目を迎えます。2008(H20)年には高齢の中途視覚障害者の居場所も兼ねた施設として「ウイズ蜆塚」を開所し、現在浜松市内2か所の施設(就労継続支援B型事業所)で50名の視覚障害者が通所し、点字印刷、白杖製作、自主製品、下請け作業を行っています。 ウイズ蜆塚は、20代から80代までの幅広い年齢層の方が利用し、その目的は「働く場」、「居場所」、「情報収集の場」などさまざまですが、高齢であっても工賃を得て働くことで社会参加をしている実感を持つことができている点は大きな意義を感じています。 視覚リハとしては、6名の職員のうち歩行訓練士2名が施設の通常業務の傍ら、静岡県と豊橋市の訪問訓練事業の指導員と、浜松視覚特別支援学校の自立活動の歩行支援にあたっています。昨年度は静岡県と豊橋市の訪問訓練で29名、浜松視覚特別支援学校で13名の生徒に支援を行いました。現在、支援内容は主に歩行が中心ですが、今後通所によるICT支援事業の立ち上げを計画中です。 そのほか同行援護従業者養成研修の講師や、企業の研修講師、小中学校への総合学習にも携わっています。 課題としては、施設業務との兼務のため十分な訓練時間の確保が難しいことと、訪問支援を中心としているため、女性の視覚障害者へのサポートという面で同性の歩行訓練士の確保が課題です。 (写真左 ウイズ蜆塚の施設名プレート 墨字の下に点字でも表記されている) (写真右 複数の施設利用者がテーブルに向って椅子に掛けて作業をしている) 4ページ  歩行訓練士のいる施設・団体A     東京都盲人福祉協会 事務局長 山本 和典 本会は、110年以上の歴史を持つ都内最大規模の視覚障害者団体です。約1500名の会員がおり、会員に対する情報提供や催事の開催(体育祭、旅行、研修会など)以外にも都内在住の視覚障害者対象の様々な事業を展開しています。 視覚障害者団体としての大きな特徴は、東京都の補助事業として実施している「中途失明者緊急生活訓練事業」と、総合支援法下の就労継続支援B型事業所である「パイオニア」(平成23年4月開所)を運営していることです。また、本会が立ち上げに大きく関わった「特定非営利活動法人TOMO」は、本会内に事務所を構え、「同行援護事業所」と「相談支援事業所」として活動しています。 =「中途失明者緊急生活訓練事業」について= 本事業は、昭和58年より東京都の委託事業としてスタートし、現在に至っています。特徴は、東京都の単独事業ですので、「契約」や「自己負担」などの手続的な制約なく、気軽に電話一本で「相談やアドバイス、情報提供」「歩行訓練」「点字/PC/IT訓練」(コミュニケーション訓練)「家事を中心とした日常生活訓練」を「訪問訓練」という形で依頼できるということです。また、ご自宅や勤務先に指導員が訪問しての訓練ですので、「その日にやったことが、その日のうちからその方の生活の中で活かしていただける可能性がある」ということも大きな特徴のひとつです。  数年前よりロービジョンの当事者でもある指導員が加わり、需要が高まっている「iPhone」などを使いこなすための訓練希望者にも対応できるようになりました。  現在指導員は5名おり、平成29年度のデータでは、年間で訓練者数は、290名、訪問回数は1773回に及びます。内容的には歩行訓練が50%を超えており、需要の高さを示しています。障害等級では1・2級の手帳保持者のいわゆる「重度視覚障害者」の割合が90%弱になります。障害原因では、「網膜色素変性症」と「緑内障」「糖尿性網膜症」の方が、70%以上にのぼります。男女比は有意な差はありません。平均年齢は約57歳ですが、18歳から90歳までと幅広い年齢層の方々に対応させていただいています。近年の傾向として、「高齢化」と共に「精神疾患」や「慢性腎不全による人工透析者」など、障害を併せ持った方々への対応が増えている傾向にあり、「視覚リハ」のみのアプローチだけではその方のQOL向上にはつながらない場合も少なくなく、指導員は「地域や医療、各福祉サービスとの連携」を図るためのキーパーソンとしての役割を果たすための能力も求められています。  今後とも、「東京視覚障害者生活支援センター」さんや「日本点字図書館」さんなどと共に都内在住の視覚障害者に対する視覚リハを担う大きな柱の1本として事業を継続していきたいと思っています。 (写真 施設の入り口付近 東京都盲人福祉センターの表記) 5ページ 歩行訓練士の先人たち @ このコーナーでは日本で視覚障害の歩行訓練が始まる、広がる、発展するにあたって尽力された歩行訓練士の大先輩を紹介していきたいと思います。原則として旅立たれた方、歩行訓練から完全に引退された方とさせていただきます。「独断と偏見」かもしれませんが…。皆さんもこの人を是非という方がおられましたら、ご連絡をお願いします。 神戸の視覚障害教育・福祉の巨星 木下和夫さん 森 一成 まず2015年1月に85歳で逝去された元神戸市立盲学校教諭で歩行訓練士の木下和夫さんです。神戸市立盲学校一筋、42年にわたって視覚障害教育に従事しました。定年退職後は神戸市内で約10年、ボランティア的な歩行訓練を実施しました。その間実に52年にわたって神戸で視覚障害教育・福祉に尽力されました。 木下和夫さんは1929年(昭和4年)に産声をあげました。父は当時、兵庫県立盲学校教諭の木下和三郎氏。和三郎氏は視覚障害者の歩行を初めて体系的に論じた「盲人歩行論」で有名な全盲の視覚障害者でもあります。1939年(昭和14年)に神戸市立盲学校が開校し、和三郎氏は教諭として赴任しました。その年に「盲人歩行論」を出版しています。和三郎氏は三療と盲人歩行を科学として基礎づけた先駆者として、各地で講演活動を行っていました。しかし終戦直後の1947年(昭和22年)、急性肺炎で54歳の若さで急逝しました。 和夫さんはそのお父さんを継ぐ形で、翌年1948年(昭和23年)に神戸市立盲学校教諭となりました。別の仕事をしていたそうですが、子供の誰かがお父さんの仕事を継ごうと家族で話し合い和夫さんが継ぐことになったとお聴きしました。和三郎氏と同じく熱意を持って、視覚障害教育に取り組みました。定年退職するまで、42年にわたって視覚障害教育一筋に尽力しました。幼小学部の中心的教諭として視覚障害教育に長年尽力したことが評価されて、1982年度の博報賞(現場で尽力した教育実践者の賞)を受賞しました。 また1980年(昭和55年)神戸市立盲学校から初めて教員を歩行訓練士の養成に派遣する時に、若い教員が直前で辞退したために急遽引き受けたとのことでした。その時50歳で、当時年齢制限があり通常20代、30代で受講する歩行訓練士養成では特例的な扱いだったそうです。全国でも歩行訓練士は非常に少なく、県内および盲学校の歩行訓練士としても先駆者でした。その後、神戸市立盲学校は常に複数の歩行訓練士を維持しています。 退職後は当事者団体の歩行訓練講座の講師をしました。これは教室型の集団指導です。途中から効果的でないとボランティア的な訪問歩行訓練に切り替えたそうです。その後1990年10月より神戸アイライト協会がそれを引き継ぐ形で、2015年4月に神戸市が常勤専任の歩行訓練士を配置するまでボランティア的に訪問歩行訓練をしました。 私は1989年の神戸市立盲学校見学の時に初めて出会いました。翌1990年に私が神戸市立盲学校に着任した日が、和夫さんの退職前の最後の勤務日でした。1日だけの同僚でした。親子2代にわたって視覚障害教育・福祉へ貢献した生涯でした。 6ページ 新特別支援学校学習指導要領等における自立活動の改訂のポイント 文部科学省初等中等局視学官(併)特別支援教育調査官 青木隆一  平成29年度から30年度にかけて、概ね10年に一度の学習指導要領等の改訂が行われました。本稿では特別支援学校学習指導要領等に示す自立活動の改訂のポイントについて述べます。 自立活動の章は「目標」「内容」「個別の指導計画の作成と内容の取扱い」で構成されています。目標について変更はありませんが、内容と個別の指導計画の作成と内容の取扱いについては改善しました。 内容では、発達障害を含む多様な障害に応じた指導を充実するため、「障害の特性の理解と生活環境の調整に関すること」を新たに規定し6区分26項目を6区分27項目にするとともに2項目について改善しました。なお、具体的な指導内容となる「歩行指導」という言葉はここでは出てきません。 個別の指導計画の作成と内容の取扱いについては、実態把握から指導目標や具体的な指導内容の設定までの手続きの中に,指導すべき課題を明確にすることを加え,手続きの各過程を整理する際の配慮事項をそれぞれ示すとともに、自立活動の学習の意味を将来の自立と社会参加に必要な資質・能力との関係において理解できるようにすることを新規に示すなど数か所にわたって改善をしました。 学習指導要領解説自立活動編には、前述の内容を踏まえた自立活動の具体的な指導内容例や留意点が記載されており、今回、各記述内容を充実させました。視覚障害のある児童生徒に関する事例は22箇所あります。ここで初めて「歩行指導」に関する言葉が出てきます。例えば、「白杖を用いて一人で市街を歩くときには,その前に,出発点から目的地までの道順を頭の中に描くことが重要である。歩き始めてからは,白杖や足下からの情報,周囲の音,太陽の位置,においなど様々な感覚を通して得られる情報を総合的に活用して,それらの情報と頭の中に描いた道順とを照らし合わせ,確かめながら歩くことが求められる。」などと示されています。お分かりのように、記載内容は歩行訓練士にとっては当たり前のことです。プロとして、それらをどう子供たちに実践し、同僚や若手教員にどう分かりやすく伝えていくかが求められるのではないでしょうか。   <編集後記> NIPPOKAI LETTER(ニッポカイ レター)いかがだったで しょうか。年度初めの非常にご多用な中、原稿作成にご協 力いただいた皆さんには心より感謝申し上げます。研修会 報告、先人たち、歩行訓練士のいる施設・団体紹介を中心 に第2号もお届けできたらと思います。年末頃に発行の 予定です。 (イラスト 花瓶に生けられたアジサイ) 以上